山陽小野田を駆ける魔改造珍電車 123系・クモハ123を愛でる

山陽・瀬戸内を走る様々な国鉄電車。
113系や115系・105系など様々な国鉄電車が活躍していたが、広島と岡山は新型227系により置き換えがほぼ完了。ついに山口地区にも227系投入の波が来て、115系の置き換えも進んでいく。

そんな山口地区、地域をさらに絞ると、山陽小野田・宇部には、数を多くの国鉄電車が居た中で、特に異彩を放つ存在が居る。それが123系・クモハ123だ。
この車の特徴は、両運転台車で1両単位での運用が可能な事。そして荷物電車を旅客電車に改造した特異な経歴を持つことである。

今回はそんな山陽小野田・宇部の珍電車「123系」を、愛でに訪れたので紹介する事とする。
なお123系は13両が改造されたが、2026年現在、山口地区で現役で活躍する5両にスポットを当てる。

クモハ123-2・3・4 元可部線向け

現存する123系は5両のみだが、それでも2タイプに分けることができる。同じ車両、床下機器でも大きく異なるので紹介してゆく。

画像のクモハ123-2・3・4の3両は、クモニ123をベースに広島運転所にて改造。当初は、可部線向けに投入された車両である。
民営化直前の可部線シティ電車用に、1987年3月27日に投入された。1M方式の柔軟性を活かし、単行での運行は勿論、105系と連結して走る事もあった。

123系は元々は閑散線区向けに1両単位で運用可能がコンセプトの電車。可部線の利用客急増に対応できなくなり、1991年、わずか4年で現在の下関地区に転属した。

改造当初の前面は、荷物電車時代と同じく非貫通顔で、同じ123系クモハ123-1「ミニエコー」に様子が似ていたが、山口地区に転属後の1993年、前面に貫通扉が設置され、現在に至る。

方向幕は側面のみで十分なのか、前面の表示器は使用停止となっており、白幕となっている。

車体は片開き2ドアの配置となっている。そのため、容易に車内収受式ワンマンに対応ができた。
西日本には数多くの国鉄電車が所属していたが、片開きの近郊型電車は特異な存在であろう。

側面窓は、上部が内側に倒れ込む方式。この方式が採用された123系は、改造13両中の3両のみである。
鉄道車両では採用例が数少ないが、近年登場したJR東海315系がこの方式であるため、この窓に見覚えのある方もいらっしゃるであろう。

また、キハ54形と同様のバケットシートが採用。元々は灰色系のモケットであったが、近年になり227系と同じ柄のに交換されている。

この車のパンタグラフは、宇部新川・宇部岬方に配置されている。

クモハ123-5・6 元羽衣支線向け

続いてクモハ123-5・6を紹介する。この2両は元々阪和線羽衣支線用に、クモニ143を1987年に吹田工場にて改造された車である。
なお先ほどのクモハ123-2・3・4と異なり、103系との連結を前提に改造当初から貫通扉が設置されている。

1995年までの8年間は羽衣支線にて運用されたが、その後2003年までの6年間、宇野線を走る旧型国電クモハ84を置き換えるため、岡山地区に転属。
宇野線(2001年まで)の他、赤穂線や福塩線とそれの送り込みで山陽本線に同地区の105系と共に活躍した。

2003年、小野田線を走る最後の旧型国電クモハ42を置き換えるため、山口地区に転属し現在に至る。

ご覧いただくと分かるが、パンタグラフは2・3・4と異なり、下関・小野田・長門本山方に配置されている。側面には行先表示器が無いため、105系と同じく前面部の行先表示器が使用されている。

ここで何が言いたいのかと言うと、105系がもしも故障して、その代わりに123系2両を連ねた列車が必要な際に、パンタグラフが近接する事象が発生する可能性があるという事だ。

2023年12月10日 そのような事象が発生したようなので、ブログ記事リンクを掲載させていただく。

『123系2両で105系運用を代走〜宇部線、山陽本線』
国鉄末期に荷物電車から改造され、現在5両がJR宇部線と小野田線で活躍する123系。12月4日からは105系運用の代走を始め、現在はクモハ123-4と5(U15…
『下関105系U03編成 本線試運転〜123系の代走は終了』
JR宇部線などを走る下関総合車両所運用検修センターの105系電車ですが、10月15日の踏切事故で損傷し運用離脱していたU03編成が12月14日、本線試運転を行…

今年2026年5月にも、105系の代わりに123系2両連結が運転されたのだが、その際は近接パンタグラフとはならなかった模様。

この車の特徴は、改造された123系13両中、唯一の両開きが採用されているところである。見覚えのある103系や105系の扉であるのがお分かりであろう。

このクモハ123-5・6は、荷物電車時代の名残を色濃く残す。

現在でこそ、側面だけ見ると何も説明が無いとごく普通の電車に見えるのだが、羽衣支線配置当初は、荷物電車時代と同じ位置に扉がある変則的、偏った位置に扉があった。
言われないと意外と気が付かないものだが、通常の電車のドアよりも、少しだけ内側にドアが寄っている。

山口地区での転属に際し、車内収受式ワンマンに対応する必要があったため、幡生工場にて扉位置の移設が行われた。

クモハ123-5・6での岡山地区での活躍は2003年までであったが、2001年から宇野線での運用が無くなったのには、宇野線でのワンマンに対応できない、この偏った扉配置が原因であった。
そのため岡山地区での晩年は、車掌乗務の福塩線と赤穂線で運用された。

昔の扉配置の名残を車内から見ることができる。元々の扉があった位置だけ、つり革支持パイプの位置が高いのがお分かりいただけるであろう。

羽衣支線運用当初、123系単行や2両連結での運用の他、ラッシュ時には103系クハ103-194と連結した3両での運行も行われていた。
阪神淡路大震災発生時には、クハ103-194は、車両不足に対応するため貸し出されていたため、サハ103を中間に挟んだ編成を組んでいた。

そのためジャンパ栓は、103系連結用にKE70(左)と105系連結用のKE96(右)の2つが備わっている。

扉移設工事により実現できるようになったワンマン運転の設備。
他の123系と異なり、運転台直後に乗降扉がある訳では無いので、少しだけ客室に出向かなければならないのは面倒そうだ。

また、運転台直後に3人掛けの座席があるのも特徴といえるであろう。

座席は同じくロングシートであるが、2・3・4と異なり、バケットシートではない。窓は201系と同じ2段ユニット窓が3つ連なっている。

このクモハ123-5・6は、昭和61年に改造が開始され、昭和62年3月31日国鉄最後に日に竣工された。

買収私鉄と見事に調和する単行国電 123系乗車記・撮影記

これより123系との乗車記・撮影記となる。小野田線は元々、小野田軽便鉄道・宇部電気鉄道で、宇部線は元々、宇部鉄道として開業した戦時買収私鉄であった。

主要幹線ではない事から改良はあまりされず、私鉄時代の香りを色濃く残す。そのため単行運行可能な123系は、まるでこの地を走るためだけに作られかのような感覚がする。

厚狭・小野田から長門本山まで

博多南からのこだま960号で、厚狭にやって来た。そしたらちょうど123系の送り込み回送が到着してきた。車はクモハ123-5のようだ。

サビ取も兼ねてか、一部の列車しか使わない2番乗り場に到着。この車には、雀田~長門本山間で乗る事となる。

貨車を留置する側線をかき分けるかのように、出発して行った。

10分後の普通電車で小野田へ向かうと、2番線に先ほどのクモハ123-5が停車していた。

16時53分 小野田駅を発車し、宇部線宇部新川まで回送。その後、進行方向を折り返し、小野田線の雀田まで再び回送される。そしてようやく雀田より長門本山行きとして、客扱いを開始するのだ。


ちなみに小野田では、山陽本線と小野田線の線路は繋がっていない。
そのため、小野田線に車両を送り込むときは、必ず宇部線を回らなければならない。

17時42分発 宇部新川行き1236Mに乗車。発車直後の車内は、20名程度の乗車があり、3割くらいが長門本山を目指すマニアのように見受けられた。

有帆川の河口付近に立地する目出駅。交換可能駅であるが、有効長も短く急カーブ上に位置するためまるでジオラマ鉄道模型の世界にいるかのようである。

小野田線はカーブも多く、駅間も短いため速度はあまり出ない。出しても50km/hくらいだった。
なお全ての軸に電動機が搭載されているため加減速が良く、外から見る分にはトコトコと走っているように見えて、乗ってみると意外とキビキビと走る。

また電制がかかった際には、思いっきり体を揺さぶられて、それなりのGが掛かってるように感じた。

小野田バイパスと立体交差し、小野田の中心部へ入ってゆく…
小野田市は、日本初の民間セメント会社「小野田セメント」発祥の地。

旧小野田セメントである太平洋マテリアルや共栄鉄鋼が連ねる工業が盛んな地域で、過疎地域ではない。
だが沿線のモータリゼーション化が進み、鉄道利用は減少。小野田線の本数は日に11往復と少なく、時に廃線議論に立たされる路線である。

南中川より多くの地元小野田の客が乗車。このまま宇部新川まで向かわれるようである。
南小野田・小野田港で多少の乗り降りがあり、あっという間に雀田だ。

制限25km/hのきついカーブからゆっくりと、123系は宇部新川へと進んでゆく…

昭和11年にできたと思われる駅舎の真横より長門本山支線が発着する。車両は先ほど厚狭・小野田で見かけたクモハ123-5だ。

雀田駅発車時刻は18時12分と、発車まで14分ある。少しだけ駅舎の外へ出てみた。

標識に合わせて警笛を鳴らしながら、トコトコともう1両の123系が近づいてきた。

長門本山行きに接続する小野田行き1237Mが到着。やってきたのはクモハ123-6のようだ。
支線を往復した後、この車に乗るのだなと思いながら撮影したのだった。

それなりに長い編成の列車を大きなカーブで撮るのもかっこいいとされているが、町に溶け込むかのように走る列車を撮るのもこれはこれでカッコいい!

撮影後、急いで長門本山行きの車内に乗り込む。車内は20名程度乗車で、1人高校生が乗り込んだ以外は、ほぼ全員鉄道マニアであった。

この日は大型連休秋のシルバーウィーク。18きっぷシーズン外で連休であれば、さすがに多くの鉄が集まるのは必然か…また山陽小野田・宇部に訪れると思うので、その時にまた様子でも見るか。

わずか5分で終点の長門本山に到着。ごく普通の哀愁漂う無人駅である。
数多くの日本の端の駅があるが、列車の本数が極端に少ないこと以外何も特別なことが無いこの長門本山駅が、最果ての駅感を漂わせてくる。

駅周辺は秘境でも何でもない住宅街なので、駅だけ周りと空気感が異なるように感じた。

せっかくなので、車止め付近から撮影した。他にも車で長門本山駅まで来て撮影している方もいらっしゃった。

車止めを見る。ATS地上子の都合で、ホームをフルを活かすことができないようだ。

保安度の向上に伴うものと、車体長がクモハ42より長い123系入線に対応するため、具体的にいつかはわからないが、2000年以降にホーム有効長が延長されたようだ。
それであっても対応車両は1両のみで、小野田線は、123系をしばらくは使わざるを得ないのだろうと察せられる。

長門本山駅後方から、海を眺めると、長府の灯が見える…

横断歩道を渡った先には、かつての名物電車クモハ42のモザイクアートが展示されている。

長門本山駅目の前には、本山駅停留所があり、船木鉄道バスの路線が1時間に1本程度は発着する。
一部を除き、本山岬からおのだサンパーク・小野田駅を経由し、船木まで至るようだ。

18時38分 長門本山から乗車し、宇部新川へ戻る。雀田で小野田からの列車が先発するので乗り換える。

地方私鉄の香りを色濃く残す宇部新川

19時07分 終点の宇部新川に到着。乗客が一斉に吐き出される。

ホーム有効長は4両程度と短く、留置線もあり、私鉄ルーツの香りを色濃く残す宇部新川駅。
そんな私鉄の香りを際立たせるのが単行運転可能な123系と、2両運転の105系と言う存在だ。

新山口からの1855Mが終点:宇部新川に到着。123系電車と並ぶ。
2021年3月に公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
最後のシーンに宇部新川駅が登場し、話題となっている。その象徴とも言えようトラス構造の古い跨線橋が目立つ。

宇部線と接続するかのように、19時23分、123系は小野田へと折り返し発車して行った。

オープンしたての東横インにチェックインし、宇部に来たら欠かせない中華そば一久の宇部ラーメンを食べて再び123系に繰り出すとしよう…

みなさんも123系を愛でに、山陽小野田を訪れる際には、宇部新川で泊まると何かと便利なので訪れて欲しい。

あっさり飲める濃厚とんこつスープでお腹を満たし、宇部新川駅へ…
20時34分 小野田線からの123系が入線する。唐突に来たので適当にシャッターを切ったのだが、駅の雰囲気もわかるそれなりに良いカットだなと思った。

大都会の狂騒とは裏腹の静かな都会「宇部」
静かな環境だからこそ、123系のMGの音が時にはやかましく聴こえるかのように響く…

現存する123系のMGは、485系食堂車の廃車発生品から流用された70kVAのものだ。冷房装置搭載でサービスを向上するために取り付けられたものである。

クモハ123の5(左)と6(右)が並んだ。この単行電車も相まって、失礼な言い草だが下手な私鉄よりも私鉄感があふれる。

私鉄特有の雰囲気を味わうなら、あえて小野田線・宇部線を訪れるのもいいでないだろうか?JRの広域ネットワークに組み込まれて、JRと私鉄のいいとこどりであろう。

このあと左のクモハ123-5に乗り、123系の数少ない宇部線運用を堪能しに宇部まで往復した。
乗車したのは、新川20時55分1439Mと、宇部21時14分発1434Mだ。

ちょうど30分で往復乗車を終え、21時25分、宇部新川に到着。4分の接続で、1862M新山口行きと乗換ができる。

古い跨線橋、ホーム屋根と明るく照らさせるホームと車両が合う。

改札をくぐると1番乗り場へ少し下る少し独特な構造となっている。現在は使用されていないが、ホーム上には噴水があるのと、シンプルな番線表示がどことない私鉄感を醸し出している。

そこに単行国電123系はぴったりなのだ。

宇部駅での123系

数少ない宇部線運用に乗車し、わずか10分で宇部に到着。ちょうど置き換えが進む115系3000番台と並んだ。

宇部駅は2020年に新しい跨線橋が供用を開始。これまで使われていた新山口方の跨線橋が撤去され、やや開けた印象を受ける。

長いホームを有する山陽本線ホームとは対照的に、0番・1番乗り場にポツンと佇む単行国電。大動脈山陽本線を目の前に異彩さが際立つ。

朝7時台の小野田線に乗車

大混雑している東横インで急いで飯を食べ、7時20分急いで宇部新川駅に着いた。
乗るのは、7時28分発、1227M小野田行きだ。

急いで3番乗り場に停車中の123系の車内に入る。車内は誰も居なかったので思わず車内を撮った。

こうなって日差しが差し込むロングシートの電車の、落ち着いた雰囲気が好みだ。

宇部新川を発車して1分ほどで、宇部湾岸道路を見ながら進む。

宇部線と小野田線が分かれる居能駅を発車。どちらもきれいなカーブを描き、それぞれの進路へ進む。

宇部新川駅周辺の鉄道が、現在の形に落ち着くようになったのは、1952年の話。1943年の国有化後から9年後の事だ。
宇部鉄道と宇部電気鉄道の2種の鉄道が走り、それぞれの駅を構えた複雑な経路で、旅客輸送、貨物輸送共に不便を強いられていた。

そのため、写真に見えている居能駅から岩鼻駅へ向かう現在の宇部線ルートの一部が、1945年6月に宇部西線貨物支線として開業。※宇部西線は現在の小野田線。
1952年の系統整理により、居能駅から宇部駅(現在の宇部新川駅)の連絡線が開業し、現在の宇部線として編入される。
2006年まで、旧宇部西線の一部であった宇部線貨物支線宇部港駅があったため、その名残で構内には側線の跡や、居能駅宇部方には橋梁の跡がある。

また1952年までの旧宇部線ルートの一部が、宇部電車区への入出庫線として1996年まで活躍していた。

宇部鉄道 概論

居能駅を発車しカーブを通過し終えると、厚東川橋梁を渡る。奥にはUBEの宇部ケミカル工場と、宇部湾岸の厚東川新橋が見える。

列車交換ができる妻崎駅に到着。昭和4年(1929年)から使用されている、宇部電気鉄道として開業してから使われている駅舎。
現在も日本各地で多くの駅舎が、設備の省力化や安全のため、建て替え取り壊しが行われている。

105系・123系はもちろん、こういった駅舎がいつまでも残っているものでは無いので、今のうちに訪れるべきであろう。気になって訪れようと思った時にはもう遅いのだから…

長門本山支線が分岐する雀田に到着。朝の本山支線の運行を終え、宇部新川に向かう123系と離合する。

そして小野田市内の工場群を見ながら進み、小野田港、南小野田、南中川と停車。
山陽本線へ乗り継いで、下関や北九州へ向かうであろう地元の客を載せる。

そして気が付いたら目出に到着。小野田線と聞くと、雀田や長門本山が印象に残るが、この目出駅もなぜか印象に残る。
川沿いの急曲線に建つ短くて狭いホームで、ホーム上に屋根が一切無いからというのが大きい。

8時06分 終点の小野田に到着。2分の接続で下関行きが発車するので、名残惜しむ間もなく立ち去る。
小野田線に乗車した老若男女の内、7割はこの下関行きに乗り換えたと記憶している。

具体的な車両置き換えの話は出てないので、まだ間に合う。また山陽小野田・宇部を訪れようではないか…

今こそ訪れるべき電車

小野田線・宇部線を走る105系・123系であるが、今のところ227系500番台「kizashi」による置き換えが発表されてない。
そのため、まだ!ひと安心だと言いたいところであるが、そう思っていると、気が付いたときにはもう遅いのである。

JR西日本で213系を除く国鉄型近郊電車が活躍するのは、宇部線・小野田線以外に、福塩線(関連運用含む)105系・115系と播但線・加古川線それぞれの103系、福知山地区の113系だ。

あくまでも希望的観測の話であるが、小野田線のホーム有効長が一部駅では1両編成である特殊環境であるが故、最後まで国電が残る場所だろうと思う。

と言っても、10年も安泰だとは言い切れないので、山陽小野田・宇部の国電がどのような形で終焉を迎えるのかも楽しみとしつつ、何も注目されていない今だからこそ乗りに行くべき電車と言えるだろう。

元々13両しか改造で作られなかった荷物電車改造の旅客電車が、現在も5両もまとまって存在するのは、小野田線と言う特殊環境で必然的にそうなったとはいえ、ものすごい事だ。

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